体験は宝!その後の生き方も変える 被災地支援活動体験発表

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体験は宝!その後の生き方も変える 被災地支援活動体験発表

こんにちは。本日、東日本大震災被災地支援活動の体験発表をします前嶋 理佐と申します。
私は静岡県立富士高等学校を卒業し、その後平成29年に静岡常葉大学教育学部を卒業しました。そして現在、中学校教員として毎日生徒共に充実した日々をおくっています。

私と柿島先生との出会いは、私の友人の恩師であったことです。柿島先生は、高校教員をしながら、ボランティア活動として美化活動に力を注いでいました。当時、大学祭の実行委員長を務めていた私に、大学生と一緒に大学のトイレ掃除をしたいと提案をしてくださいました。トイレ掃除や地域のごみ拾いなどの活動を行っている柿島先生との出会いは、私の人生において刺激を受けた出来事でした。

そんな柿島先生からお誘いをいただき、平成27年3月に宮城県石巻市へ被災地支援活動を体験することができました。被災地支援活動を体験したときには、震災からすでに4年の月日がたっていました。この頃の私の生活環境は、東日本大震災の起こる前と変わらないものでした。しかし、被災者もそうでない人も確実に変わってしまったものは、生活に対する不安感だと思います。いつ再び起こるかわからない自然災害への恐怖心、自分自身の命、家族を失うのではないかという死への怯え。震災以前と比べて、今では誰もが明日への不安を感じて生きているのではないでしょうか。

被災地へ直接足を運んだからこそ、得られたことが2つあります。
1つめは、石巻市立大川小学校についてです。崩れている校舎。地面のあちこちに散らばっているガラスの破片や木片、プラスチック、布切れ・・・。想像をはるかに超えるほどの大きな被害があったことを実感しました。津波で亡くなられた70人以上の児童の氏名と年齢が刻まれている慰霊碑を見ると、本当に胸が痛くなりました。私よりも幼い子どもたちが、どれほどの恐怖を味わい、嘆き苦しみながら亡くなっていったのか・・・大川小学校から感じられる静けさは、まるで3月11日で時が止まってしまったかのようでした。その背景には、避難先についての議論ののち、誤った判断をしてしまった教員。適切な対応を周知徹底できていなかった甘さなどがありました。教員を目指していた私にとって、大川小学校の事実はより重く受け止められました。

2つめは、仮設住宅についてです。仮設住宅を訪問し、最も感じたことは「当たり前が当たり前」ではないということです。毎日あたたかいご飯がでてきて、あたたかいお風呂に入り、あたたかいベッドで寝ることができる。それが当たり前だと思っていた自分が恥ずかしくなりました。仮設住宅は、とても狭くとても心細いものでした。毎日家族とともに笑いが絶えず生活できている自分と仮設住宅で生活している人たちを比べ、なんてつらいのだろう・・・もし自分がこの立場だったら生きていく希望が見出せるのだろうか・・・とまで考えてしまいました。なんと言葉をかけていいのかわからず、うつむいてしまった私に、現地の方から話しかけてくれました。その時の言葉は耳を疑うようなものでした。私の想像は「さみしい・つらい」というマイナスの言葉でした。しかし、そんな言葉は一切なく、「前向きに頑張らなきゃね」「生きられているだけで幸せ」「亡くなってしまった人の分まで一生懸命生きなきゃね」と満面の笑みで話してくれました。家族を失い本当につらい経験をしたにもかかわらず、被災地支援活動に来た私たちの誰よりも彼らは明るく・強く、前を向いていました。生きることへの感謝の気持ちの強さに心を打たれました。

被災地支援活動を通して、今の私につながっていると感じることがあります。
1つ目は、教員として、生徒の命を守る責任の強さです。私は現在勤務している学校で、防災担当をしています。
1年間に4回避難訓練を行っていますが、私は最初から月の行事予定に記入してある予告済みの避難訓練に疑問を感じていました。生徒にとって避難訓練を「やらされている」と感じてほしくない。また、我々教員も同様に「決められているものだからやる」と思ってほしくない。そう強く感じた理由は、やはり石巻市立大川小学校の悲劇があったからでしょう。教員も正しい知識を身に着け、判断できる。これが今後、何よりも必要になってくると思いました。そこで先生方に相談をし、昨年生徒に予告なしの避難訓練を実施しました。生徒の一番気が緩んでいるであろう昼休みに、北朝鮮弾道ミサイルのJアラートを放送で流しました。昼休みは生徒も先生方も学校内のあらゆる場所にいます。そのような状態で先生方はどのように指示をし、生徒を守ることができるのか。実際、弾道ミサイルが問題視されていた時、どれだけの人が正しい知識を持ち、正しい避難方法を知っていたのでしょうか。お恥ずかしい話ですが、私自身何一つ分かっていませんでした。そこで、事前にJアラートがなった際の生徒への指示内容、避難場所を勉強しました。実際に行った予告なし避難訓練における生徒の振り返りの中には「昼休みに友達と話していた時だったので、思わず焦って走ってしまった」「いつどんな時に起こるか分からないからこそ、落ち着いて考え、判断をしたい」「いつも以上に緊張感をもってのぞめた」などがあげられました。また、先生方からも生徒全員を守るために、日ごろからより生徒に寄り添うことを大切にしたいというご意見をいただきました。
東日本大震災から7年がたった今、当時より一人ひとりの意識が薄れているように感じます。しかし、いつどんな時にくるかわからないということを常に意識すべきだと実感しました。

2つ目は、命の大切さ・生きることへの感謝の気持ちについてです。教員になり、生徒の日常会話から感じたことは、友達同士でふざけ半分に、「死ね」という言葉を使っていることです。言っている側も言われた側も、平気にしている姿が信じられませんでした。現在のゲームの中には安易に相手を殺す内容のものがあったり、SNSなどで簡単に「死ね」という言葉を使っていたりします。そのような環境が当たり前となり生活している生徒にとって、命の重さについて考える場面が少ないように感じます。
私は、被災地支援活動で現地の人と関わり、生の声を聴くことができたからこそ、より一層、生徒へ命の尊さを伝えていきたいと思いました。生徒からよくない言葉が聞こえた時は、もちろん、言葉遣いについて注意しますが、私が一方的に注意するだけでなく生徒自身に命の大切さを感じてほしいと考えました。そこで、道徳の授業や専門教科である理科の授業を利用し、命について考える場面を多く設けました。道徳の授業では、長崎県の雲仙普賢岳の噴火による被害者の実話や、ウミガメと我々人を比較し生命の尊さを考える資料を活用しました。当たり前のように生活できていることが決して当たり前ではないことを生徒同士の話し合いから見出していました。また、理科の授業では災害への備えにおける知識を伝えることや、体のしくみから、生命のすばらしさを学ぶことができました。
生徒の成長過程に携わることができる貴重な職業だからこそ、生徒と一緒に、命の大切さ・ありがたさについて考えていきたいです。

最後に、今後私が大切にしたいことを述べたいと思います。1つめは、何年たっても学び続けることです。生きたくても生きることができなかった方の分まで、懸命に勉強をし、大切な命を無駄にしないようにします。
2つめは、生徒へたくさんの愛情を注ぐことです。生徒が安心して学校にくることができるよう、そして居心地が良い学級をめざして、生徒を守るという責任を強く持ちます。生徒の未来を明るくできるよう、教員という仕事に誇りを持ち頑張っていきたいと思います。

つたない話でしたが、最後までお聞きくださりありがとうございました。そして、このような場を与えてくださった柿島先生に本当に感謝しております。以上で発表を終わります。

上野中学校 前嶋 理佐

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2018-09-30T06:18:52+00:00 9月 30th, 2018|